2017年3月30日木曜日

ベーシックインカム。

ベーシックインカムの最大の問題点は、社会保障費を財源にするため、例えば、月々10万、全国民に配るとしますよ。

月々10万というのは、生活保護費以下ですよ。で、健康保険も廃止しますから、病気になったら、貧乏人は死ぬということです。

マルクス主義的なベーシックインカムじゃなくて、新自由主義的なベーシックインカムが主流だから、当然、ある分の福祉予算の均等配分がベーシックインカム。

社会保険や年金に+してベーシックインカムをやる財源なんかありませんから、ベーシックインカムは左翼に擬態した新自由主義ですよ。

2017年3月11日土曜日

パククネ。

パククネ大統領弾劾は、憲法裁判所の判事8人中、全員一致で可決されました。

これは怖いことですよ。
憲法裁判所の判事のうち、2人はパククネと与党推薦なんです。ですから、6VS2で弾劾になるはずが、全員一致で弾劾。

日本の最高裁でも、靖国や9条裁判で棄却されても、反対意見が数名いますよね?。最高裁で、全員一致の判決というのは、ほとんどないんですよ。

米国も、連邦最高裁は民主党、共和党から半々推薦してあるので、全員一致判決はまず出ません。
パククネ大統領弾劾に関しては、国会弾劾なら、内閣不信任と同じで理由がいらないんですが、憲法裁判所で、法的根拠グレーゾーンな弾劾で判事の全員一致というのは、中国やロシアのような全体主義国でしか起こらない現象です。

つまり、日本相手の裁判はもちろん、自国の大統領にも、法治が適用されないわけです。(下手に弾劾に反対すると判事が襲撃される危険性がある)から、全員一致で、世論に司法が迎合したわけです。

次の大統領が、誰が当選しても、司法に対するコリアンリスクが出てきましたから、海外投資は激減するはずです。

もしも、パククネ大統領を政治的に弾劾したかったなら、憲法裁判所で5対3で、1回目は否決したあとに、本人が辞任するか、再審で6対2で弾劾しておけば、司法に対するリスクを海外に喧伝することにはならなかったと思うのですが…。

2017年3月9日木曜日

森友学園。

森友学園というのは、よくわからないんですが、選挙関係で、私学票や宗教票があるので、完全無視できないんですよね。
清和会は伝統的に文教族だし…。

例えば、〇Hという新宗教は、鳩山由紀夫さんも自民党も選挙協力を受けています。というか、共産党、公明党以外の国会議員や知事で一切、宗教から支援受けていない政治家知らないんで、線引きが難しいんですよ。

例えば、S村さんは〇Hの信者ですが、〇Hは、鳩山さんや他の政治家の選挙支援はしていますが、S村さんの選挙助けていませんからね。

ガチの信者より、選挙協力目的の政治家の方がなぜか優遇される。

で、S村さんは別の新宗教(信じてない)から、選挙支援を受けているわけ。おかしな話なんだけど、ガチの信者は自分の宗教で選挙支援しない傾向が強いんですよ。ビジネスライクですよ。

まあ、支援目的で近づいてきた政治家を支援しないと逃げられますからね。結果として、政界では信じていない宗教から選挙協力を受け、信じている宗教からは助けてもらえないという冗談みたいな構図が出来上がっているわけです。

2017年3月7日火曜日

小池都知事。

小池百合子都知事の大義というのは、都議会の既得権益化した地方議員と戦うことだと思うんですよ。

なぜ、石原慎太郎元都知事が、豊洲移転で小池都知事から批判されているのか?わからないんですよね。まさか、小池都知事と都知事選挙を戦った自民党東京都連の会長が石原伸晃だったから?ですかね…。

地方議員は、必ず既得権益があるし、それは国会議員や知事でも手出しできないレベルですから、小池さんが真剣に戦う大義があるなら、都議会の利権で、害悪が大きいものを潰すべきだと思うのです。

2017年3月1日水曜日

経済学の目的。

経済学の目的は、「貧困の解消」です。

つまり、新自由主義者のフリードマンもケインズもマルクスも、ゴールは貧困の解消が目的なのです。

手段が違うだけで。

負の所得税、教育パウチャーはフリードマンが提言者です。ケインズみたいに公共事業で、ばらまきやるより教育で人を育てた方が長い目で見たら、貧困はなくなるでしょうと。

ケインズの有名な台詞に、「長期的には人は死ぬ」というものがあります。長期的には経済は均衡するという自由主義者に、対する皮肉です。

確かに長期的には経済は均衡するかもしれませんが、「人間は1週間、2週間断食したら、死にますよ。」

ですから、今、目の前に失業者がいる、それを長期的には経済は均衡するから、市場が解決するのを待ったら、市場が解決する前に失業者が飢え死にするから、失業者を解消するためにケインズは公共事業をやったのです。

ちなみに、経済の本来の目的である貧困の解消から、外れた経済学は単なる数字遊びでしかないと私は思うのです。